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公共施設・文化財の消失【名古屋空襲③】

Y's FactoryのYOSHIです。

【名古屋空襲第3弾】

「名古屋空襲」の第3弾は私がいろいろ調べてわかったことや感じたことを書きます。

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名古屋市の全市域約1万6000haの約24%に当たる約3850haが焦土化したとされました。特に東区・中区・栄区熱田区の50%~60%が焼失されたとされ、都心部の公共建物や繁華街は壊滅的な打撃を受け、市の中心部は焦土と化しました。

公共施設の消失

名古屋駅をはじめとする木造の建造物の大半は焼失しました。慶長年間以来の碁盤割の町並みをはじめ、名古屋市の中心の建物の大半は破壊され、完全に焦土と化しました。

文化財の消失

空襲により名古屋市内にあった数多くの文化財の歴史的建造物などの大半が失われ、被害を受けました。

名古屋城

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昭和5年天守をはじめとする建物群が城郭建築としては初めて旧国宝に指定され、本丸御殿障壁画345面が旧国宝に指定されたが、天守や東北隅櫓、正門、金鯱、本丸御殿など多くを焼失した。障壁画のうち、襖、障子、天井画など取り外し可能なものは空襲直前に取り外し、移動してあったため難を逃れたのもあります。1959年に天守は鉄筋コンクリート構造で外観復元され、本丸御殿は2009年から復元工事が始まり2018年6月に完成しました。鉄筋コンクリート製の天守も将来的に撤去され、焼失前の資料を元に木製天守に復元される予定です。

熱田神宮

鎮皇門(旧国宝)、海上門(旧国宝)、春敲門の3つの門が焼失した。また熱田神宮は他にも勅使館、宮庁、神楽殿などが被害を受けました。

愛知県護国神社、萬松寺

空襲により本堂を焼失し、平成に入って再建されました。

大須観音

空襲で焼失し、昭和45年にに本堂が鉄筋コンクリート構造で再建されました。

本願寺名古屋別院

空襲で、ほとんどの建物を焼失し、昭和47年に本堂を再建しました。

改めて感じたこと

その他にも多くの文化財が消失しています。名古屋城をはじめとする貴重な建物や資料が消失してしまったことは大変悲しいことです。しかし、それらを守ろうとした人たちのおかげで、今でも多くの文化財が残っていることに感謝したいと思います。